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もう尊敬もしてないし、素晴らしい人だとも思ってない。 すべてが、嘘だと知らなかったことによる思い違いだった。 あなたに興味がない。あなたのすることにも。 あなたが何をしても、二度と私があなたを思うことはない。 あなたのすることが、今やこれからを変えることもない。 隣から出て行って。前に車を止めないで。 取り付けた機器を全部、まとめてガレージに置いておいて。 一日のうち一秒たりとも、私のことを考えずにいて。 会社のお昼に、国母批判の話になって、服装の乱れなんて興味がないので、 どんな着方をしているのか全然見たことなかったのだけど、 かなりヒドイんだろうなと思いながら聞いていた。 選手団なんだから、ペナルティを課されるほどの乱れはイカンだろうと、 単純に思っていたのだが、帰ってユーチューブで見たら、 え、これ??? ![]() 別に…フツーに着てるじゃん。。と逆にビックリ。 ただ、ボトムスが、私の嫌いな”行き過ぎたローライズ”だったという話もあって、 それは、ただ単に、”下品”、”目のやり場に困る”、”不快”そういう理由なので、 だとしたらやっぱり嫌なんだけど、 でもこれを見る限り、下着見せ見せのローライズってこともないだろうと。 トップスのみで言えば、ファッション雑誌めくって見?? この程度の着崩しなんていくらだってあるし、 「ちゃんと着ている」とは言えないけど、 「ちゃんとカッコよく」着てる。 ただね、同じ服を、ぴしっと着ている沢山の人たちの中に、 一人だけ混じっていると、え、何?という印象を与えるのだろうと思う。 オリンピック情報を見てる年齢層って、幅広そうだし。。 ただ、朝の情報番組の誰かが擁護していたと聞くように、 ”スノーボードの選手だけが””他とは違う常識で”いていいとはちっとも思わない。 でも、これは全くの憶測だけど、国母は、みんなでおそろいのスーツを着せられること自体を、 かっこ悪いと思ったんじゃないか? 或いは、単純にあのスーツを、かっこ悪いと思ったんじゃないか? こんなん着なきゃいけないの~~~?って。 15歳にして、とにかく私服の高校を血眼になって探した私としては、 その気持ちはすげー分かる。 着なきゃいけない、ならどうするか、国母だって考えたんじゃないだろうか。 会社では、ドレッドもヤリダマにあがっていた。 スノボとドレッドにどんな関連があるのか分からないし、 実は全然関係ないような気もしているけど(勉強不足なら申し訳ない)、 でも、あれくらいのドレッドだって、やるとなったら結構大変だし、 やったら、髪あんまり洗えないしね。 ドレッドは、髪型っていうよりは、”生き方”なんだよ? 見ている方の見識が浅いとしか思えないのね。。残念ながら。 突き詰めたら、昔の高校野球みたいに、スポーツ選手は全員丸刈りの世界かよ、と。 もちろん、国母がそんなに深く考えてやっているとも思わないけど、 国辱ってほどじゃ全然ない! 開会式に出さなかったことを(もし強制したのであれば)反省しましょう。 世界が聞いたら笑うぞ。 その上、それを引きずって、競技でのミスまで”恥”とか報道している輩もいて、 それとこれとはカンケーないんじゃ? 自分の美学に逆らえなかった国母を(そう信じてるんだけど)、私は断固支持する! でもパンツはみせないでね。 考え方なんとかじゃなくて、あの着方は、単純にかっこ良かったよ。
学生時代に一番仲の良かった女友達は、
卒業後しばらく東京で働いて、郷里に帰った。 帰ると聞かされた時には既に決定事項だったが、 で、自分は人の決めたことに、それほど口を挟まない方だが、 この時はかなり止めた。 あんたは絶対、東京が合ってる! 実家に帰ってしばらくして、彼女は母親にこう言われたそうだ。 あなたにはいまだに、複数の男の子から電話が来る、 それがいけないと。 それを聞いた時の私の衝撃。 さすが雪国米どころ、土建屋公共事業一番で、 55年体制の権化みたいな所に住んでる人は、 目の付けどころが違うぜと。 もちろん彼女にせよ、何かいかがわしいことをしているわけではなく、 ただ職場の友達とか、学校時代の友達とか、 そんなものだ。 ものすごい美人だったから、電話をかけて来る方が何を考えてかは知らないが、 少なくとも彼女の方は、女友達と区別していたりはしないはずだった。 当然、ヘンな話として言っているのだろうと思って聞いていたら、 そろそろ落ち着きたがっていた彼女はナント、大変納得したというのだ。 またまた衝撃。 その時私はまた一人、味方を失った気がした。 小さい頃から、男の友達の方が多かった。 高校に入る頃には、女とは合わないことを自覚していて、 えらい好待遇で受かった女子校を蹴って、 公立の共学を選んだ。 男がいいというよりは、女とめったに合わないのだ。 "言ってることはいいけど、言い方がいや!"みたいな感覚に、 付き合いきれないのだ。 言ってることがいいならいいじゃん! だから、そういう感覚の男とも合わない。 性別じゃないのかも知れない。 なので私は、ただでさえ友人が少ないのに、 男と飲みに行ったりすることを気にされると、 非常に困ってしまう。 男と行ってるわけじゃない。 友人知人と行っているのだ。 そこをあえて区別はしていない。 相手が男だから、同席するわけじゃないのだ。 英語では、友達を男か女かで区別はしない。 男友達、女友達という表現はない。 だからボーイフレンド、ガールフレンドと言えば、 彼氏、彼女のことだ。 これは、英語圏に行くと意外に早く引っかかるハードルで、 だから、如何にもオレ英語自信あります的な人が、 平気で女友達のことをガールフレンド、などと表現すると、 こいつ、ネイティヴと恋愛話の一つもしたことないな、とすぐ分かる。 あまりにも初歩的なミスなので、指摘もしにくいほどだ。 いちいち区別していたら、私などボーイフレンドばっかりになってしまう。 区別する必要なんかないし、 私も、区別されたくはない。
遅ればせ、後生大事に録画してとっておいた、コールドマウンテンを観た
(観ている同時刻に、AXNで放送していた)。 嵐が丘がモチーフと聞いていたけれど、違うのだろうか。。 南北戦争が題材なのに、主演2人にオーストラリア人とイギリス人が据えてある辺り、 今でもアメリカでは扱いにくい歴史なのだなと感じられ、お疲れさまな感じがする。 数えるほどしか言葉を交わしていない相手のことを、 3年も4年も忘れられないという気持ちが、妙に分かる気がして、 いちいち切なかった。 そういうことは狙ってできることではなくて、 当人も歯がゆいし、そんな想いから解放されたらどれだけ楽だろうと思いつつも、 変わらない気持ちだけを抱えて、ただ月日だけが過ぎていく。 父親が亡くなって、自分で食べていく術を持たないエイダは、 金持ちオヤジの支援を断り続け、 ハンサムなインマンは、帰路、村の女に操を狙われたりしながらも、 ただひたすらに再会を目指す。 2人一緒のシーンが極端に少ないながらも、要は恋愛物なので、 ハッピーエンドじゃないのが気に入らないが、 伏線の張り方といい、短い出会いで登場してくる人たちや、 その人たちの生活の描き方といい、すごくよくできた映画だと思った。 ハッピーエンドじゃない。 私の中ではそうなのだけど、どうも描き方は違うような気がする。 私がハッピーエンドじゃないと思うのは、 考えられないような苦難を乗り越えて故郷にたどり着き、 エイダとの再会を果たしたインマンが、その翌日に死んでしまうから。 ベタっぽいけど、相当な悲劇のはず。 私がエイダなら後を追うね。神様はいるのか、やってられるか!って感じだ。 ところが、シーンは飛んで数年後、エイダが自分の農場で女の子を連れている。 なんと、再会した夜のたった一度の営みで見事着床し、ひとつぶだねが残ったらしい。 子どもは5歳くらいか。 エイダの声のナレーションで、”最近はあなた(インマン)のことも頭から離れ、娘のことや…”とか何とか。 えぇっっ!マジで? と思う。 ろくに話もしなかった頃は、生き死にも分からないにもかかわらず3年も4年も忘れられなかったのに、 死んでしまったら5年で頭の中の消しゴムフル稼働かと。 でも、ここで思ったのは、死んでしまったからではなく、 子どもがいるから次に進んで行けている、というニュアンス。 そりゃ、子どもが残されれば、やることは山のようにあって、支えといえば支えだし、 おちおち後追いもできないだろうけど、 それと、悲しくないのとは、別なのじゃないかと思うのだ。 いなくても平気な存在になるなんてあり得ないんじゃないかと。 いや、現実はそうなのかも。 時が悲しみを癒すのと、子どもが残されたことをリンクさせたら、 交尾の直後にオスがメスの食物と化す、カマキリと変わらないじゃないか! と少々怖くなった。 それに、どんなに好きだった相手でも、絶対に数年で忘れられると結論するなら、 それはそれで一つ映画ができるような、ちょっとしたテーマなはずで、 子どもがいたんで助かりました、と心の動きも描かずにやってしまうのは、 少し乱暴な気がするのだ。 まあ、死んだモンは死んだモン、生きていかなきゃならないわけだし、 一生悲嘆に暮れていろ、というわけではないが、 それって、あり方としてどうなのか、インマン的にはどうなのか、 私なら、もうちょっと考えたい。 少し前のことになってしまうが、長い人生、そんなこと露も思わなかった私が、 あー、この人の子どもだったら育ててみるのも面白そうだな、と考えたことがある。 およそ現実味のない相手で、ぼうっと想像が浮かんできただけなのだけれど、 男の子と、私が立っていて、私はその子を見下ろしているのだけど、 肝心の相手がどこにもいない。 空気的に、ちょっとどこかへ行っていてそれを待っているとか、そういう感じじゃない。 自分の中の空想なのだから、もっと好きに、ハッピーなものを描けばいいのに、 どうしてそんな画が浮かんで来るのか、とても不思議だったし、 何か、あの人はいないが、この子がいるからいいや、的な気分には、 到底なれなかった。 大作映画に対抗するのが、空想なんかで大変恐縮ですし、 本当のところは、映画が正しいのかも知れない。 どう考えるかじゃなくて、自然にそうなる、そういうものなのだろう。 でもやっぱり、納得行かん。 「ごめん、私やっぱり、子ども好きじゃなくて男好きだったわ!」byニッチェ。
ミルキークイーンが、スーパーで変える時代になったんだ!
近所で2キロ入りを見つけて、すごくびっくり。 前はわざわざどこかに注文していたし、 新米が出たら早めに申し込まないと、手に入らなかった。 ご飯など、無洗米一辺倒だったけれど、 この米が食べられるなら、研ぐのもやぶさかじゃない。 毎回意気揚々と炊いているけれど、あんまりおいしい気がしない。 もち米みたいだな、と感じるくらい。 ミルキークイーンとの出会いは、数年前、銀座の和食屋さんで。 女性ばかりで集まってご飯を食べていて、 たまには和食にしようということになり、コースを予約した。 値段の割りに美味しくて、盛上がっていた最後の一品として、 釜飯用みたいな、銘々の小さなお釜に入った、真っ白いご飯が出てきて、 すごくびっくりしたんである。 普通は、季節の食材が炊き込んで合ったりするようなところだ。 多分、全お客がびっくりするんだろう、運んできた人は、 この米はミルキークイーンといって、希少なものです、 甘みが強くて粘りがあって、とにかく、このまま食べるのが一番美味しいのだと解説してくれた。 添えてあるお漬物なんかも最小限、塩も添えてあったと思う。 ただ、このお漬物で食べて下さい、という感じじゃない。 どんなに希少で美味しいお米でも、白米を炊いてぽんと出して、 それでコースの一品に値するのかと、全員が半信半疑で箸を付けた次の瞬間には、驚嘆していた。 お店の人、すごい! そう思った。 お米の味がする。もっと食べたくなる。 かりっと揚がったてんぷらや、味の染みた野菜の炊き合わせや、 いちいち美味しかったのに、帰り道の話題は、最後に出てきた白米で持ちきりだった。 今食べて、あんまり美味しくない気がするのは、炊き方のせいもあるだろう。 お米なら、お酒なんかと違って、量産を始めたら味が変わるような、 そういうこともないだろうし。。 でも、休みの朝にゆっくり味わいたくて、今朝(というか昼)、好きなご飯の友を並べたら、 おそろしいことに、1合全部食べてしまった。。。2回おかわりして。 痩せようとしているのに。 1合平らげたのなんて、生まれて初めてだと思う。 2合炊いたらどうなっていたのか。 なんだかんだ言って、美味しいんだろうなあ。。
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